五郎ちゃん一緒に踊ってよ

五頭目の犬だから五郎。スタンダードプードルの五郎と何故か始めてしまったドッグダンス。
一体何を目指しているのかわからないまま悩み、もがきながらの日々のつぶやき。
五郎ちゃんと母ちゃんのドッグダンスのドタバタ成長記録です。2017年6月から保護犬ロックも家族になりました!

また赤裸々に書いてしまった。

大好きなチャーリーと一緒に


フェイスブックの登録時に生年月日を入力しました。昨日は私の誕生日。いつも家族だけが祝ってくれるのに 知り合いの方々からメッセージをいただき 嬉しい誕生日となりました。


生まれてきた事を自分自身は疑問に思うのが思春期の私でした。結婚するまでは自分の誕生日を呪っていたのです。生まれて来なければ良かったと思っていました。


昨日のお誕生日おめでとうのメッセージがあんまり嬉しくて書いてしまいます。


私は妾の子として生まれたのです。

今で言う私生児


当時はまだ私生児は珍しく社会的には蔑まれていたと思います。初めての記憶は いとこのお姉ちゃんに

「あんたはうちの子じゃないけん 母ちゃんの事は母ちゃんって呼んだらいけんよ」と言われ泣いた事。山口の親戚に預けられていました。

小学校入学前に母親と暮らす事になり

母は4年前に亡くなった父と私が7歳の頃 結婚しました(正確には同棲)それも当時は少なかったですよ 母は時代の先取りしてたのね?

思春期をむかえた私は親と衝突するたびに実の父を思い 自分の出生の事実を知ると 母をなじり 生まれてきた事を呪いました。


私にとって誕生日はそれを想い起こす日


何故生まれてきたのだろう

生まれて来るべきではないとずっと思っていました。


母はひとことで言うと「飛んでる女性」

一緒に暮らした父は母より5歳年下で真面目な人でした私と19才しか歳の差がなかったんです。訳ありのコブ付きの奔放な性格の母と私がきっかけで出会い一生懸命父親になろうとした人です。

だから厳しかった。


犬と一緒です。親に舐められず直ぐ引き離されて兄弟と触れ合う事もなく社会性が遅れた私は

陽性訓練ではなくビシビシ打たれて育ち 顔色を伺い

親に牙を剥きました。

そのたびに「本当のお父さんなら優しいに違いない」と思い 想像して会いたくてたまらなくなりました。

中学2年の時に母が実の父と連絡を取って私は会う事になりました。


前の晩一晩中かかってメモ書きしました。質問事項を書いたのです。

「何故 妻と子がありながら母と恋愛したのか」「私は避妊の失敗で生まれたのか」ませた中学生でしたね「生まれて来て良かったと貴方は思っているのか」

今もあの日の私の感情は容易に思い出せます。

涙が自然に流れます。

両親に望まれ生まれ愛され育つのが普通なのに

私はいったいどうして生まれたのか?

愛に飢えていた私です。


メモ書きを握りしめ銀座の松屋デパートの入り口でセーラー服で1人で待っていました。

問い詰めて聞き出さなきゃならない事が山程あるんです。

そこに来たシワのよらないスーツ姿のおじさんは 一緒にいた秘書らしき人を直ぐ返した人は子供の頃何度か親戚のおじさんとして会った事のある人でした。母より20才年上の私より小さな(私は中二で166センチありました後に170まで成長して今はチジミましたよ)頭に毛が一本もない明治生まれのその人は

「大きくなったね」と言いました。「美味しい物を食べよう」と言われ見ると私と同じ鼻の形をしていました。ダンゴっ鼻

(あ この人と私、血が繋がっている)と思ったらニヤニヤして 聞かれる事に答えるのが精一杯で「避妊の失敗か」も一切聞けませんでした。

生まれて初めて目の前で天ぷらを揚げてくれる老舗のテーブルを挟み 食べた事のない物を食べ聞かれる事に答えるのみでした。

ひとつ店員さんを呼ぶ時に「オイ、キミ」と呼んだ時 嫌だと思いました。その後 彼が亡くなるまで数回会いましたが良い印象はあまりなかったんです。偉そうで嫌だった。別れ際には子供にとっては多額のお年玉の何倍ものお金をくれてそれも嫌いな事でした。お金なんかいらない抱きしめて欲しかった。

亡くなったのを知ったのは新聞記事。

死ぬまでとうとう一度もあのメモ書きの内容は聞けなかったんです。

それからは認知をしてもらっていたので弁護士だの何だので遺産騒動 嫌な思い出ばかりです。


ただ 育ててくれた父への感謝の気持ちは生まれて来ました。私が中学に入った時正式に母と結婚しましたが私の性が変わると色々聞かれてかわいそうだと母の性になってくれた人です。必死に父親になろうとして私を躾けようと頑張っていた父への愛情が湧いてきたんです。地位も名誉も無いけど誰にでも親切な優しい人でした。血の繋がり より日々の生活の中での出来事の方が私にとって重要でした。


父と呼べる人は亡くなった おじいちゃんひとりです。子供達には高校生の頃 私の出生と父の事を話し 私に、もしもの事があった時 おじいちゃんを大切にする様に言ってありました。

血の繋がりのない4人の子を本当に可愛がってくれた父でした。末期癌がわかった最後の半年私は父を家で看取り いっぱい抱きしめて感謝をあらわしたけど もっともっと親孝行したかったです。感謝しても仕切れなかったです。


結婚して やっと生まれてきて良かったと思う事が出来る様になった 私の誕生日の話です。


後に ふたまわり上の腹ちがいの姉に聞いたのですが 1日も一緒に暮らした事のない実の父は 異常な程の犬好きで珍しい犬を沢山飼っていたそうです。

犬の世話は他の人にさせて!

とんでもないヤツだよね。

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