別れは突然に
三井先生のワークショップの記事を朝起きて書いてアップした4時過ぎに父ちゃんからLINEがきました。
「今 旅立ちました」え?嘘?なんで?
前の日に三井先生に順番を早めてもらい自分の順番が終わったら直ぐに帰ろうと思っていたのです。
金曜日の訪問でお医者さんが「モルヒネのパッチを使いましょう」とおっしゃって残された時間は1〜2週間と言われたと報告を受けたからです。
急いで荷物をカートに入れてフロントに精算に行っても誰もいなくて メモを残して 鍵とカードを置いて WOOFを後にしました。朝4時半ぐらいでした。
慌ててクレートを置いたままで帰ってしまい葵ちゃんママに迷惑をかけてしまいました。
大月あたりまで霧が濃く見にくい高速道路を走りました
地面の白線だけが頼りでした。
お父さんごめんね
お父さんごめんね と涙で余計に見にくい道路でした。走る間中ハンズフリーの携帯電話で父ちゃんと話し合いました。看護師さんと医師が直ぐきて下さいましたので身体を綺麗にして頂き父の服はお気に入りのゴルフウエアに指示。
五郎とハッチは荷物を放り込んだグチャグチャの車内で寝ていて静かでした。
一度だけパーキングエリアで犬たちのトイレ休憩をしましたが家族LINEに報告
WOOFのフロントに電話(結局8時まで繋がらずでしたが)訳を話して請求書を
送ってもらう事になりました。
そして三井先生に連絡して全部キャンセルしました。トラさんの映画がみたいって言うから安心していたのです。血圧も下がって無いし 痩せたけどまだガリガリじゃあなかったし まだ一緒の時間があると思っていたのです。
父の元につき詫びました。
母にも詫びました 父は3時ごろ背中を撫でる母に「もう大丈夫だから陽子も寝ろよ」と言ったのが最後だったそうです。その後父ちゃんがカメラで異変を察知したのが4時ごろだったそうです。
苦しまずに寝たままだったと聞いてまた安堵の涙が出ました。穏やかなお顔で今にも動き出しそうでした。
犬たちにご飯を食べさせて庭で排泄 朝9時には葬儀屋さんが来て綺麗な布団に包まれた父は一階の和室 応接間に移動してもらいました。父の所は神道で親戚が羽黒神社なので神主さんもおみえになって それからは夜まで親戚に電話連絡にあちこちの手配に 母の喪服の用意 長い長〜い1日になりました。お父さんの枕元には山盛りご飯に箸が真ん中に立ててあり まん丸のお団子が6個 お皿に生米 お線香はありません。礼をして音を出さない拍手を2回してまた礼をするのが神道の習わしと教わりました。
親戚が集まる納棺の儀式に お通夜は月曜日で葬式は火曜日 火葬後直ぐに納骨するそうです。49日を待つのではないそうです。神道は50日だそうです。
しきたりや風習の違いに驚きます。
御霊前じゃなくて皆さん「お見舞い」の封筒でした。
気が付けば五郎の朝ご飯を忘れてしまっていました。欲しがらないし静かで てっきり父ちゃんがやってくれたと思っていたのです。五郎ちゃんごめんなさい
混乱する母を気遣うのが私の役目です。昨夜も「私はどこで寝れば良いのか葬儀屋さんか神主さんに聞いて」と言うのです。父との約束です母を守らなきゃいけません。
今日は子供や孫たちがきます。
犬小屋御殿のガス工事も予定されています。
去年の9月10日は父ちゃんと父ちゃんの友達2人の4人でゴルフをやっていました。ダントツ義父がトップだったそうです。その1年後の9月10日に亡くなってしまいました。
28日で94才 神主さんが算えで95才と仰っていました。通夜葬式には天寿を全うしたお祝いの品を渡すのが風習だそうです。米寿(88才)からだそうです。末期肺癌でしたが苦しまずに眠るように逝ってしまった事が何よりの救いでした。
猟にクレー射撃に鮎釣りにゴルフに会社経営 楽しい人生だったと思います あっぱれな人生だったと思います。
お父さんありがとうね