五郎ちゃん一緒に踊ってよ

五頭目の犬だから五郎。スタンダードプードルの五郎と何故か始めてしまったドッグダンス。
一体何を目指しているのかわからないまま悩み、もがきながらの日々のつぶやき。
五郎ちゃんと母ちゃんのドッグダンスのドタバタ成長記録です。2017年6月から保護犬ロックも家族になりました!

通夜


いつもの朝が来て 犬達は変わらず元気です。食欲あり 快便

超大型犬と話すのは食事の手配の数の確認 出発時間の事 段取りの確認です。

ひんやり秋の朝 日中はまだ夏ですよ

泊まってくれた次女が朝食の用意をしてくれました。


父のいる部屋に行き蝋燭に火を灯し 母と思い出を語り 抱き合って泣き 御礼を言い合いました。

「お父ちゃんが日本一の嫁だって言ってたよ」と言うので「あらら、市内で一番ぐらいが良いのにね」父の意向に沿っただけで当たり前の事をやっただけです。

後の父との約束は母のことです。父が最後の最後まで愛した母の笑顔を守らなきゃいけません。私より長生きかもしれないので子供達にも頼まなきゃね。母の兄弟が集まりましたがみんな90才を過ぎても杖もつかずに歩いていました。車の運転をしている叔母もいましたよ。

田舎はバスは走っていなくて 移動手段は車ばかりです。運転する人が3人いれば車を3台所有して家の敷地内に停めるのが当たり前です。

私の疑問を解いてくれたKさんに感謝です。調べる暇も無くモヤモヤしていたのです。お団子6個は意味があって 音を出さない拍手をしのび手という事 などなど知るという事は面白いですね


父の意向で盛大な祭りごとは新聞にも掲載したので昔の従業員の方々が来てくださいました。人は人に良くしてもらった事は忘れないけど 人にした事は覚えていないのですね「子供をかかえて仕事をしている大変な時 『会社に連れてきて良いよ 私が見ててあげる』って言ってくれた事 あの時の事は 今でも忘れません」って言われてそういえば私は子守りをしていたわ

長男と一緒にその子を大洗の水族館に連れて行った事があったね 長女がお腹にいたと薄っすら思い出しました。40年近く前の話です。

昔 父の経営する工場に 夫と私は後を継ごうと大企業と公務員を辞めて帰って来たのです。夫と父が経営上の問題で喧嘩して父が「俺の目の黒いうちは勝手な事はさせない出て行け!」と言って夫は出て行った経緯があります。

私は3人目を身籠り長男の幼稚園も決まっていたのでイヤだと言ったのですが「オレひとりでも出て行くぞ!仕送りするから」という父ちゃんでした。母が私に「ついていってやって下さい」と言い実家を出て行った経緯があります。

その後 義父と夫が和解する時間はかなりかかりましたが それもこれも昔のこと 私には忘れる技術が身についています。この技術は案外便利ですよね 

良くしてもらった事だけ忘れずに恩返しをする それで地球が平和にまわっているのです。


昨日出席できなかった次男やタカちゃんが来てくれます。私は火葬場でのお弁当の手配で頭を悩ませています。足りないと困るから多めで良いよね?お父さん


昨日はソフィアさん大活躍で通夜の間中留守宅の玄関前で警備してくれましたよ

報酬は鹿の骨でした。

父の願いに沿う


半袖では寒い あさんぽでした。

父のいる部屋に入って朝の挨拶をしてお花に水を入れて蝋燭の火を灯しました。

母が「お父ちゃんの顔が変わってきた」と言いました。

父ちゃんは少し風邪気味で葛根湯を飲ませました。疲れが出たのでしょうね。

毎日人がお見えになります。

その時に赤い水引のついた「お見舞い」と書いた封筒を置いていかれます。

お米を左から右にスプーンで1回掬うと教わりましたが右から左に戻す人や3回

掬う人など様々です。

私の独断で床の間に父の盾を飾りました。きっと父は私のした事を喜んでくれる筈です。賞状やスコア表はお棺に入れようと思いました。

お昼頃長女と次女たちが到着

孫たちに神道の作法を教えたのですが何故手を叩く時 音を出さないのか?とか私は説明できませんでした。全部に意味がある筈です。ご飯にお団子に生米 なんでお団子には6個なのか?5個や8個じゃないのか?疑問が湧いてくるのですが解決できずにいます。

孫達は挨拶が終わるとカエル探し

殿様バッタを見つけて喜んだりしていました

嬉しいハッチ

とにかくご機嫌でしたよ

この小さいのはちょっと違う感じだなあ

家の近くにあるお墓を見に行ってきました親戚の叔父さんの話では勝手に開けて入れて良いんだというのですがねえ

私の両親のお墓はいちいち何かで固めていて出し入れは自由じゃ無いのです。

風習や作法の違いを楽しんでいます

焼き肉店のタワー盛りとか初めて見たわ


前日1人で買い物に出て迷子になったウサギちゃんボスをユメママが買い物に連れて行ってくれました。ずっと把握していた冷蔵庫の中をここ2〜3日は 大変さで忘れていてネットスーパーの注文もしていませんでした。

本当に助かりました。夕食はお隣さんが届けてくれたそうです。あっちもこっちも皆さんのサポートで成り立って父の終末期介護に専念できました。どうやって恩を返せば良いのかわかりません。


昨夜の月が煌々と美しく「お父さん今日は月が綺麗でしょ」と話しかけてしまいます。今日も儀式が夕方からあってその後葬儀場に移動して通夜があります。

父ちゃんは喪主の挨拶の事で頭がいっぱいです。

私は1番に母の事 そして留守番の犬達の事を考えます。

食事の手配に花の並ぶ順番まで失礼のないように気を配るって大変ですね

生前父に葬式の事を何気なく聞いたんです。今はコロナで家族葬が一般的だと言いましたが父は「盛大にやってくれ」と言い 父ちゃんと顔を見合わせたのですが「死んじゃった後は(こっちの思い通りで)良いだろう」と思っていましたが

父の願いが働いているようです。

それで良いねと思っています。

別れは突然に


三井先生のワークショップの記事を朝起きて書いてアップした4時過ぎに父ちゃんからLINEがきました。

「今 旅立ちました」え?嘘?なんで?


前の日に三井先生に順番を早めてもらい自分の順番が終わったら直ぐに帰ろうと思っていたのです。

金曜日の訪問でお医者さんが「モルヒネのパッチを使いましょう」とおっしゃって残された時間は1〜2週間と言われたと報告を受けたからです。


急いで荷物をカートに入れてフロントに精算に行っても誰もいなくて メモを残して 鍵とカードを置いて WOOFを後にしました。朝4時半ぐらいでした。

慌ててクレートを置いたままで帰ってしまい葵ちゃんママに迷惑をかけてしまいました。


大月あたりまで霧が濃く見にくい高速道路を走りました

地面の白線だけが頼りでした。

お父さんごめんね

お父さんごめんね と涙で余計に見にくい道路でした。走る間中ハンズフリーの携帯電話で父ちゃんと話し合いました。看護師さんと医師が直ぐきて下さいましたので身体を綺麗にして頂き父の服はお気に入りのゴルフウエアに指示。

五郎とハッチは荷物を放り込んだグチャグチャの車内で寝ていて静かでした。

一度だけパーキングエリアで犬たちのトイレ休憩をしましたが家族LINEに報告

WOOFのフロントに電話(結局8時まで繋がらずでしたが)訳を話して請求書を

送ってもらう事になりました。

そして三井先生に連絡して全部キャンセルしました。トラさんの映画がみたいって言うから安心していたのです。血圧も下がって無いし 痩せたけどまだガリガリじゃあなかったし まだ一緒の時間があると思っていたのです。


父の元につき詫びました。

母にも詫びました 父は3時ごろ背中を撫でる母に「もう大丈夫だから陽子も寝ろよ」と言ったのが最後だったそうです。その後父ちゃんがカメラで異変を察知したのが4時ごろだったそうです。

苦しまずに寝たままだったと聞いてまた安堵の涙が出ました。穏やかなお顔で今にも動き出しそうでした。


犬たちにご飯を食べさせて庭で排泄 朝9時には葬儀屋さんが来て綺麗な布団に包まれた父は一階の和室 応接間に移動してもらいました。父の所は神道で親戚が羽黒神社なので神主さんもおみえになって それからは夜まで親戚に電話連絡にあちこちの手配に 母の喪服の用意 長い長〜い1日になりました。お父さんの枕元には山盛りご飯に箸が真ん中に立ててあり まん丸のお団子が6個 お皿に生米 お線香はありません。礼をして音を出さない拍手を2回してまた礼をするのが神道の習わしと教わりました。

親戚が集まる納棺の儀式に お通夜は月曜日で葬式は火曜日 火葬後直ぐに納骨するそうです。49日を待つのではないそうです。神道は50日だそうです。

しきたりや風習の違いに驚きます。

御霊前じゃなくて皆さん「お見舞い」の封筒でした。

気が付けば五郎の朝ご飯を忘れてしまっていました。欲しがらないし静かで てっきり父ちゃんがやってくれたと思っていたのです。五郎ちゃんごめんなさい


混乱する母を気遣うのが私の役目です。昨夜も「私はどこで寝れば良いのか葬儀屋さんか神主さんに聞いて」と言うのです。父との約束です母を守らなきゃいけません。

今日は子供や孫たちがきます。

犬小屋御殿のガス工事も予定されています。

去年の9月10日は父ちゃんと父ちゃんの友達2人の4人でゴルフをやっていました。ダントツ義父がトップだったそうです。その1年後の9月10日に亡くなってしまいました。

28日で94才 神主さんが算えで95才と仰っていました。通夜葬式には天寿を全うしたお祝いの品を渡すのが風習だそうです。米寿(88才)からだそうです。末期肺癌でしたが苦しまずに眠るように逝ってしまった事が何よりの救いでした。

猟にクレー射撃に鮎釣りにゴルフに会社経営 楽しい人生だったと思います  あっぱれな人生だったと思います。


お父さんありがとうね