五郎ちゃん一緒に踊ってよ

五頭目の犬だから五郎。スタンダードプードルの五郎と何故か始めてしまったドッグダンス。
一体何を目指しているのかわからないまま悩み、もがきながらの日々のつぶやき。
五郎ちゃんと母ちゃんのドッグダンスのドタバタ成長記録です。2017年6月から保護犬ロックも家族になりました!

床上浸水の記憶

日曜日の朝  テレビを見て驚きました。台風の被害が大きく悲しみが広がります。風より雨量が驚異的でした。河川の決壊が何カ所も!本当に人間は自然災害の前には無力です。

水害経験者の我が家です。あの経験は忘れる事のない経験です。昭和61年8月4日でした。長男2才11ヶ月長女9ヶ月の時 プラスチック成型の実家の跡を継ぐべく夫は某大企業を辞めて私も公務員を(保母)辞めて茨城の下館に住んでいた時のことです。小貝川の堤防が決壊して床上50センチの被害を受けました。サイレンがなり水があっと言う間に増えて 警察官か消防団の人か自衛隊の人かよくわからないけど助けられて警察の三階まで逃げました。長女をおぶい長男を抱き犬のユキを抱いて逃げました猫のジャムは電信柱の上に水が引く2日後まで登ったままでした。

周りの家々も汲み取り便所だったし養豚場は近いし水が引いても畳はダメになり電化製品は全てダメになりタンスも中の衣類も全部ダメになりました。

水がひいてからの膨大なゴミとの闘いの日々

白い薬を保健所の人が撒きに来て 赤十字から夏なのに毛布を貰い おにぎりを配られた事「何かお困りの事はありませんか」と赤十字の人に声をかけられて あ、いつかテレビで見た事のある光景だわあたしたち難民 と思いました。 県から1万円と国から1万円貰ったのを覚えています。

逃げる途中 養豚場の豚さんが流れていた事 ガスボンベがガスを撒きながらクルクル回りながら流されて行く様は30年以上経っても忘れません。途方に暮れました。 どこから手を付けて良いかわからないあの絶望感の片付け 命があって良かったと喜びました。

父ちゃんはどうしたと思いますか?

当時コンピューターのプログラムの記録媒体はカセットテープでフロッピーが出始めでしたがテープとフロッピーディスクを自分の身体に縛りつけバイクでひとりで高台に逃げたのです。「わたしと子供はどうするの〜」と叫ぶ私に「お前は何とかなるだろう重いから大丈夫 これは何年もかかって俺が作った大事なプログラムで命より大事なんだ!」と言ってひとりで逃げたのですよ 

水がひいてから警察まで迎えに来てくれました

そんな事を思い出してしまいました。畳は1ヶ月以上待ちでした。町全体の畳がダメになったのですからね 水害になりそうな時はまず畳を高い所に上げる事は教訓です。当時は畳床は重い藁で高価な物でした。今は違うかも知れませんね そしてアルバムも高い所へ 高い着物や式服などもタンスの下に入れてはいけません。家族を置いてひとりで逃げる事はもっといけません。

「養豚場の豚が流れたのに流れなくて良かったね」と避難所にニコニコ迎えに来ましたよ。

離婚を考えた何回目かです。

母ちゃんオイラはずっと母ちゃんのそばにいるよ!

愛しているよ五郎ちゃん。

夜 テレビを2画面にしてラグビーとバレーボールを同時に見ました。ハラハラドキドキしました。バレーボールっていつから足を使っても良くなったのですか?ラグビーのルールもイマイチわかりません。すぐ人間が団子状になってモソモソボールが出てきます。

ルールの解説が画面の端っこに親切に出ますが覚えられないね

でも一生懸命やっている人を見るのが好きです鍛えられた身体は美しいです。

さて連休最終日の体育の日 五郎とソフィアを思いっきり走らせてやりたいなあ。

×

非ログインユーザーとして返信する