別れは突然に
私は夜は弱くて9時には寝ます。夜中に母の咳き込みで目を覚ましました。反応がないし食べないので別れは近いと思っていました。
昨日の夕方から熱が出たので長男に見てもらいお医者さんに連絡しようかと相談したりしていたのです。渡されていた抗生剤と解熱剤で様子を見ていました。長男が「婆ちゃん点滴するの嫌だよね?」と聞いたらまぶたが動いたから嫌だって言ってるよ。と言いました。おでこに手を当てると熱があるようなので計ると39度 昨日もほとんど反応がなくスプーンいっぱいずつエンシュアやポカリスエットを飲ませていました。いつもの朝のようにブログを書き終え犬たちのオシッコ出しを順番に終えて母のそばに行くと呼吸が浅くなっていたのです。さっきまでと違うハッハッという短い浅い感じの息です 。爺ちゃんの時と同じだわ みんなを呼ばなきゃと思いました。ガーゼにポカリを染み込ませ唇を拭きました。「お母さん」と呼ぶと大きく目を開けてくれて私を見てくれて一粒涙をこぼしました。急に静かになって呼吸が止まって脈も取れず時計を見ると6時10分でした。母は静かに静かにいってしまいました。看護師さんに電話して「朝まだ早いから先生を起こすのはもっと後で良いですから もう死んじゃったから」と言いました。「そうはいかないのですよ」とお医者様がすぐにいらしてそれからはバタバタと。
死亡診断書を書いてもらい「この間もう危ないと思った時からよく頑張っていましたよね」
「苦しんでいないので良かったです」
「先生 あっけないものですね?こんなんですか?まだまだいけると思っていたのに」「長い間お世話になりました。ありがとうございました。」
それからは もっともっとバタバタと長い長い1日となりました。お寺さんに電話しないと!婆ちゃんお経を嫌がるよ!家族が多いと意見も多いわけで写真を選ぶのも大変でした。
爺ちゃんの時と同じ葬儀屋さんに連絡して棺が届くとご近所さんが集まってくれました。
去年の今頃はロックの事で毎日オロオロしていました。ロックが食べなくなった頃です。
満開の桜の中 婆ちゃんは静かに逝ってしまいました。お隣の奥さんが「介護は本当に大変だったからね」と労って下さいましたが 少しも大変じゃなかったし もっともっとずっとずーっと関わっていたかった。
私はやる事が無くなってしまったわ。
注射も血糖値測定ももうできないのね。オムツ交換だって上手になったのに。
次女が婆ちゃんに綺麗にお化粧をしてくれました。お気に入りの洋服にズボンを履いておめかししました。次男も駆けつけてくれました。婆ちゃんの事が大好きな「豆腐屋」は何故かとても静かでした。
眉間のシワは無く穏やかな顔でした。
火葬式は4月1日 観音寺の住職に電話をすると同じ時間に同じ斎場においでだと仰って時間をずらせば良いのでしょうが「大きめのお声でお願いします聞こえますから」と言いました。
これも母の喜ぶこと
「お忙しい皆さんを煩わしてはいけない」と言われているので落ち着いたら葉書で知らせる事母の願いをひとつひとつ ちゃんと叶えたから私は良い娘だと思います。
だからちっとも悲しくありません。なんだかボーッとしています。
チカラが抜けた感じです。
夕食前に犬と遊んでいると「あたしゃどんな芸当をすると餌が貰えるんだ?」と言った母
ソフィアの名前を教えると「なんでそんな変な名前をつけた?豆腐屋だなんて!」と言ってみんなを大笑いさせた母 母の言動を思い出して家族で笑おうと思います。
「婆ちゃん もっと上品な婆ちゃんになってよ!」「ヒンヒン品と馬じゃあるまいし」
切り返しの早い面白い人でした。
私の名前が思い出せなくなって「大事な人」と言ってくれて 抱きしめたっけ
婆ちゃんは私の「大事な人」でした。
ロック やっとロックの知ってる人が行ったよ良かったねロック