五郎ちゃん一緒に踊ってよ

五頭目の犬だから五郎。スタンダードプードルの五郎と何故か始めてしまったドッグダンス。
一体何を目指しているのかわからないまま悩み、もがきながらの日々のつぶやき。
五郎ちゃんと母ちゃんのドッグダンスのドタバタ成長記録です。2017年6月から保護犬ロックも家族になりました!

死ぬまで食いしん坊でいよう!

2016年8月27日の記事の続編を書きます。お暇でしたら読み返して下さい。


私は親戚に預けられて5才ぐらいまで山口県の彦島で育ちました。

母の生活が安定してきたのでしょうか?もうすぐ5才の春 離婚して傷心の叔母と3人で暮らすことになりました。

寝台特急のあさかぜに乗って東京に帰る時 線路ぎわには木で作られたハシゴが一定間隔に置いてありました。叔母のすすり泣く声とガタンゴトンのリズムを刻む電車の音 ハシゴの数を数えてもあるところにくるとまた1から戻り数え直す 眠れない夜でした。後で知るのですがその時叔母は乳飲み子を置いて逃げるように出てきたそうです。

朝になり東京駅が近くなって叔母が「これからはお母さんとずっと一緒に暮らせるのよ」と言ったのを覚えています。お母さんってどんな感じ?お母さんって!と期待と喜びでホームに降りました。ホームの上の人は前に「鳥のモモ肉骨ごと」をお土産にくれたおばちゃんだ!駆け寄ると

上下お揃いのスーツの母の第一声は「何?この子汚い!」でした。顔や身体に水イボ?カサブタが沢山あったと後で聞かされましたが 「お母さん」って抱きつきたかった想いは崩れ去りショックがその後何十年も残りました。汚いとか臭いとか 拒絶する言葉は一生残りますね 言ってはいけないと思います。

その後 大丸デパートに行ってプリンを食べました。この世にこんな美味しいものがあるのか!と驚きましたカラメルのちょっと苦みと焼いたブツブツのプリンの斜面は忘れられません。


この世の最後の食事にもできればカスタードプリンが良いな 欲を言えばメロンや生クリームも添えてプリンアラモードにしてねと娘に言っておきましょう 必ず焼きプリンよ!カラメルのちょっと焦げたぐらいのね。

チーズたっぷりのオニオングラタンスープも捨てがたい。

大変だ 食べたいものまだ沢山!死ぬギリギリまで食べようね!


母と叔母と暮らし始めたのは田端の駅の近くのアパートでした。生まれて初めての水洗トイレが嬉しかった。山口は家の外にある木の小屋のトイレで怖かったのです。もちろんボットン便所。

大きな蜘蛛が何時も隅っこにいました。私の記憶ではタランチュラぐらいの大きさですがね子供だから大きく思ったのでしょうね 蜘蛛の巣は張らないその蜘蛛は身体に毛が生えていて獲物を見つけると素早く飛びついていましたよ。

トイレットペーパーなんて物は無く新聞紙を揉んで柔らかくして使います。蜘蛛とにらめっこのボットン便所の怖さ 下駄は何度か下に落とし怒られ 怒られるときはヤイトウと呼ばれるお仕置きを足の指の裏にされました。押さえつけられて泣き叫ぶ。もぐさを乗せてお線香で火をつけるお仕置きです。

当時はポピュラーな躾方法でオネショにはヤイトウ。言うこと聞かないとヤイトウという時代でした。ヤイトウするよと言われたら泣く子も黙ります。

虐待以外の何物でもないですね 野蛮だよね 土地によってヤイトと呼ばれていたそうですよ。

オヤツは海で取ったニイナというタニシみたいな巻き貝を茹でて針で取り出して食べます。ボタと言う果物も生垣にあり食べました。イチジクに似た小さな果物です。

坂を登ると「老いの山公園」があって360度のパノラマが広がっていました。九州と四国と朝鮮半島が見えます

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した中州のような巌流島も見えます。

蒙古襲来の遺骨が出た海岸に九州の工業地帯の煙 日本地図が実際に見れる歴史のある 私の思い出の場所です。


もう1つ忘れられない景色は母と暮らすようになって電車でよく見たお化け煙突と大きなコケシのような人形が見える風景です。上中里か田端か日暮里か京浜東北線で見えました。

田端のアパートでも母は朝早くから夜遅くまで働いて私は叔母と2人で過ごしました。目が覚めると決まって傘の形をしたチョコレートがお土産に置いてありました。確か不二家のパラソルチョコレートです。

しばらくして母と叔母は上中里に定食屋を開きました。尾久駅と上中里の駅の間に国鉄の車両基地?のようなところがあり国鉄のお客さんで人気の定食屋でしたよ。私は保育園に入りました。まごころ保育園です。梶原銀座の縁日 木を削って作る風呂桶屋さん ゴムまりに絵を描く人 製本やさん 1人であちこち見て回り良く遊んでいました。

ヨシノブちゃん事件と言う誘拐殺人事件があり母から知らない人について行ってはいけないと言われていた矢先

19才年上のお兄ちゃんと公園で知り合いました。バナナをくれて遊んでくれたお兄さんはタクシーの運転手で明治交通というところに勤めていました。

うちにごはんを食べに来るようになり母と同郷と言うこともあって良く遊んでもらいました。バンビの映画 101匹ワンちゃん ワンワン物語 見せてくれました映画館でね。

王子にあったプールにも行って泳ぎを教えてくれました。アイススケートも自転車もそのお兄ちゃんが教えてくれました。母より5才年下の後に私の父親になってくれた人です。私が「お父さんになって」と頼んだそうですよ。

東京オリンピックの頃のお話です。

白黒テレビで鉄腕アトムや鉄人28号を見ていたと思います。マイティーハーキュリー フィリックちゃんも好きだったなぁ

眠らない母の傍らにて

昔を思い出しました。

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